ギャラリーGALLERY
2021年04月04日
隅田川焼茶碗
竹内栖鳳 漁舟自画賛 共箱
隣村乃鯛あみ白く月おぼろ
竹内栖鳳が隅田川焼の茶碗に漁船の自画賛をしています。柔らかな白色の楽焼の茶碗の上に、並んだ漁舟の舳先が描かれ、『隣村乃 鯛あみ白く 月おぼろ』と情景を詠んでいます。
桐箱蓋に栖鳳の共箱があります。高台脇にスミタ川の小判印があります。
京焼の作家の茶碗に栖鳳が絵や歌を書いたものは時折見かけますが、この茶碗のように隅田川焼に書いているものは珍しいと思います。
隅田川焼(すみだがわやき)は江戸(東京)の楽陶で、文政2年(1819)頃に佐原鞠塢(きくう)が向島(墨田区)百花園内にはじめたそうです。
隅田川中州の土を採り、多く都鳥の絵を描いた器や都鳥の香合を作りました。
銘は種々あり、桜の花内に「隅田川」は二代菊塢が十三代将軍家定の御成りの際に作ったものとされる。楕円内「スミタ川」数種、「角田川製」など。「百花園」の銘は明治以降の製に見られます。
茶道の世界では根強い人気のある今戸焼の陶工、白井半七の香合や茶碗にもスミタ川の印を付した作品がみられます。
竹内栖鳳は、1864年12月20日(元治元年11月22日) – 1942年(昭和17年8月23日)戦前の日本画家です。本名は恒吉。最初は棲鳳と号しました。霞中庵の号もあります。近代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家です。土田英林、幸野楳嶺に師事。円山四条派の伝統的写生を基本としながら、その中に西洋画の写実性を取り入れた新画法を生み出しました。動物を描けば、その匂いまで描くといわれた達人であったそうです。1891年(明治24年)には山元春挙、菊池芳文らと共に青年画家懇親会を興しています。帝室技芸員。第1回文化勲章受章者。
サイズ 高さ6.0cm × 径10.7cm
フリモノ等(画像をご参照ください)ありますが、傷なく良い状態です。
価格 どうぞお問い合わせください。
高台脇のスミタ川 小判印
共箱 蓋甲
共箱蓋裏