ギャラリーGALLERY
2020年12月03日
永楽妙全作 仁清写茶碗
唐崎の松画
上田南嶺筆
永楽妙全(1852~1927)は、千家十職永楽家の14代得全室で「お悠さん」の愛称で知られています。得全没後家業を支えて、表千家十二代惺斎宗左の好み物を多く制作しています。
この作品は永楽妙全の茶碗に、同時代の四条派の画家 上田南嶺が日吉大社の摂社である名勝唐崎神社の「唐崎の松」を特徴をよくとらえて描いています。
近江八景「唐崎の夜雨」で知られるこの松は、初代は持統天皇の御代に植えられました。記録では天正九年(1581)に大風で倒れ、二代目は時の大津城主 新庄直頼公が植えたとされています。この二代目の松は大変大きく、今も多くの絵画にその姿をとどめています。大正十年にこの松は枯れますが、現在の三代目の松はその実生だそうです。因みに金沢の兼六園にも二代目の実生が「唐崎の松」として植えられているそうです。
制作された時代を考えると、この茶碗に描かれているのは二代目の大きな唐崎の松の晩年だと思われます。同じ時代を生きた二人と唐崎の松、三者のコラボレーション、、、歴史ロマンを感じませんか?
上田南嶺 うえだなんれい (1858~1943) 明治~昭和の四条派画家で教育者。京都伏見に生まれ、晩年は伊丹に移住した。1875年に渡辺祥益に入門、日本画家として世に認められる。1890年昭憲皇太后の法隆寺行啓・1892年のロシア皇太子来日に際し、法隆寺より依頼され献納図として同寺真景図を描いた。画家の傍ら大阪府立堂島高等女学校に奉職したが、1918年に伊丹の酒造家小西新右衛門(現在の小西酒造 白雪ブランド)の勧めで伊丹古城下に移り住み「古城庵」と名付けた。
無傷・美品です。未使用と思われます。桐箱の蓋甲と身裏に妙全の共箱があります。
サイズ 高さ8.2cm × 径11.4cm
お買い上げ 有難うございました。