用語集GLOSSARY

山元春挙 やまもとしゅんきょ

 日本画家。1871年(明治4)11月24日滋賀県大津市に生まれ。本名金右衛門。野村文挙(ぶんきょ)、森寛斎(かんさい)について円山・四条派を学び、1890年(明治23)の第3回内国勧業博覧会で褒状を受けるなど写実性豊かな風景画をもって京都画壇で頭角を現しました。1891年竹内栖鳳,菊池芳文らと青年画家懇親会を興し,早苗会を主宰し多くの後進を育てました。1907年(明治40)の第1回文展から審査員、1909年には新設の京都市立絵画専門学校教授。1917年帝室技芸員,1919年帝国美術院会員。また諸外国の展覧会に出品,1926年フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を受章。円山派の伝統に西洋の遠近法や写実描法を持ち込み、代表作は『法塵一掃(ほうじんいっそう)』『雪松図(せっしょうず)』『塩原の奥』などがあります。(昭和8)1933年7月12日京都市で死去。63歳でした。

 出身の大津にまつわる話としては、膳所焼の廃絶を惜しんだ地元の岩崎健三に協力し、1919年に別邸に登り窯を築き膳所焼の復興に尽力しました。これは復興膳所焼などと呼ばれており、春挙自ら絵付け若しくは歌を書いた茶碗や鉢などができています。

 大津に現存する春挙の別邸は蘆花浅水荘(記恩寺)といいます。琵琶湖の畔に建てられ、離れに面した広い庭園の池はかつて琵琶湖に直接つながっており、小舟で出られたそうです。今は湖岸に道路ができていますがすぐ向こうに公園と琵琶湖が広がり、当時を偲ぶことができます。なお現在の復興膳所焼の窯元・膳所美術館からは徒歩数分の距離にあります。

 山元春挙自筆名・花押