用語集GLOSSARY
北村幽安(幽庵)きたむらゆうあん
江戸時代前期-中期、藤村庸軒門の茶人。名は政従(まさより)。通称は左太夫(さだゆう)。別号に祐庵・道遂(どうずい)。慶安元年(1648)~享保4年(1719年)。近江(滋賀県)堅田の地侍である殿原衆(北村・居初・辻・竹内家)。殿原衆は古くより姻戚関係で強く結ばれ、祥瑞寺を支える有力な檀家であり、また庸軒流茶道にも深く関わっていました。(この祥瑞寺には現在、一旦昭和の頃にとだえた庸軒流幽庵派の茶道を再興する活動が住職を中心として続いています。)幽安の妻は同じ殿原衆 居初正幸(いぞめまさゆき)の妹でした。
幽安は茶や漢学を庸軒に学び、和歌は庸軒長男の恕堅に手ほどきを受けました。俳諧は堅田本福寺11代住職明因(俳号 千那)に親しく交流があったようです。このように当時の文化人として芸道のあらゆる分野に造詣深く、特に作庭・茶室設計・茶器製作に独特の手腕を発揮しました。天和元年(1681)年頃、幽安が師の庸軒と共に創った「天然図画亭(てんねんずえてい)」(居初氏庭園)は、入母屋造りの草庵式と書院式を融合させた茶室「図画亭」と琵琶湖と湖東連山を借景にした枯山水庭園で、大津市指定文化財・国の名勝に指定されています。ご当主からこのような文化財を維持管理する大切さと大変さを伺ったことがあります。対岸の景色は少しずつ変わっていきますが、この茶室からの景色をいつまでも守っていただきたいと願っています。なお幽安自身も自宅に二畳台目と四畳半の茶室を造りましたが旧北村家には現存しません。
またすぐれた味覚に恵まれたようで、茶の湯に使う水が琵琶湖の指定した場所でくんだ良水かどうか常に言い当てたり、懐石料理の1つで、鮒のつけ焼き(酒と味醂・醤油を同分量で合わせ、柚子やカボスの輪切りを加えた幽庵地に浸して焼く)の「幽庵焼き」や食用菊の「幽庵菊」は幽安の創作と言われ、現在まで伝えられています。