用語集GLOSSARY
自然斎 じねんさい
自 然斎(じねんさい)(1821~1877)は岩根治右衛門といい、安政初め(1854)頃から湖東焼の絵付けを、中山道鳥居本宿(とりいもとしゅく)の旅籠『米屋』を営むかたわらはじめたといいます。
安政三年には原村の床山玉侊、高宮村の赤水、白壁町の賢友と株仲間を結成し、彦根藩普請方より窯元の免許を得て藩窯から白素地を仕入れ、民業湖東焼の絵付を行いました。藩の御用以外では『自然斎』・『誠有』・『雪香亭』・『錦霞楼主人』などの号を作品に記して街道の旅人に販売したようです。
「焼附絵竃元鑑札」には藩より活動規則として、
・藩からの御用を命じられた際には大切に勤めること
・権利を譲渡する際は村役人と他三名の承諾が必要となる
・藩の許可を得ずに湖東焼の絵付を行うものが報告をすること
という内容が記されています。
文久二年(1862)に藩窯が廃止されてからは、藩窯の職人であった山口喜平らに払い下げられ民窯となった窯の素地や、京都に移った幹山伝七の窯の素地などを用いて、明治時代以降も絵付を続けたそうです。そして宿場が衰退していく中、明治五年(1872)、湖西の高島郡西万木村(現・高島市安曇川町)へ移住し、明治十年(1877)に57歳で世を去りました。(一説には明治六年没)
自然斎は、赤と金で絵付を行う赤絵金彩や、赤や黄、青などの多色で絵付を行う色絵の技法を駆使し、華やかで細密な絵付の作品を多く残しています。その模様は、山水から花卉、鳥獣、人物まで多岐にわたっています。