用語集GLOSSARY
瀬田焼(門平焼)せたやき もんぺいやき
瀬田焼は文政年間に、池田門平という陶工により瀬田の唐橋の東に開窯したようで門平焼とも言われています。膳所焼の初期にあたると言われる勢多焼と混同されやすいので注意が必要です。
初代は楽焼を、二代から陶器を焼いて三代続きましたが、大正時代には廃窯となりました。茶陶に始まり日常使いの器まで幅広くつくられたようで比較的多くの作品が残っていますが、それでもこの頃は見かけることがほとんど無くなりました。
夕照山 印
三代目が廃窯するのと時を同じくして岩崎健三により復興膳所焼が開窯するのですが、これを私は最近までこれは藩窯膳所焼の廃窯を惜しむ人々の熱意が生んだ偶然だと思っていました。しかし先日膳所焼美術館で復興膳所焼二代目岩崎新定室せつ様とお話をする中で、三代池田門平が瀬田焼の廃窯後に職人としてこの窯に関わったことを私は伝え聞きました。この大津の地に連綿と続くやきものへの人々の思いがこれからも繋がっていくように願うばかりです。