用語集GLOSSARY

石山焼(與八焼)いしやまやき よはちやき

 

 文政7年(1828)幕末京焼の名工である仁阿弥道八(1783-1855)は紫式部で知られる石山寺の座主、尊賢僧正のもとで剃髪して仏弟子となりました。茶人でもあった尊賢は仁阿弥の指導で寺内に楽焼の窯を築き茶碗や水指などを焼いたと言われています。この言わば石山寺の御庭焼とも言うべきやきものは石山焼とよばれています。尊賢僧正のプライベートな趣味のやきものという要素が強く伝世品はとても少ないようです。

 尊賢僧正の花押である『與八』の刻印が作品に押されることが多いようで(私は二種確認)共箱も存在します。

  それらの楽焼の作品は出来が素晴らしく特に箆削りは絶妙で仁阿弥道八の箆使いそのものと言う作品も見られることから、尊賢の手遊びだけでなく仁阿弥本人の作も有るとも考えられます。当代高橋道八氏は二代道八である仁阿弥の極書もなさいます。角倉家御庭焼の一方堂焼や西本願寺御庭焼の露山焼などに関しては高橋家に伝わる資料等をもとに鑑定して頂けますが、この石山焼に関しては鑑定のもととなる資料がないために受け付けてもらえないので注意が必要です。

なお楽家十二代吉左衛門は大正8年11月に石山に剃髪隠居し弘入を名乗りました。隠居後の作品には石山の地で焼いて「於湖南造」と箆彫銘の物が見られますので、尊賢僧正の石山焼とは明確に区別する必要があります。