用語集GLOSSARY

梅林焼 ばいりんやき

 梅林焼は天明年間(1781-89)小田原伊兵衛という者が領内中之庄村梅林山(同市中庄)の土を採って開窯したと伝わっています。窯は伊兵衛一代で絶えたといいますが、後の文政(1818-30)の頃、伊兵衛の職工であった梅林金三郎という者が古器の模造に長じ梅林の印を用い再興したといいます。幕末には再び廃窯となったようですが窯跡などは確認されていません

 作品は茶道具(茶碗・振出し・蓋置・鉢・香合・茶入・花入など)もありますが、水滴や酒器・食器などに三彩釉を用いた個性的な造形のものが一般にはよく知られています。釉は緑色・黄色・紫色でぼかしの技法を用いたり、また形押し模様のあるものもみられます。

 製品とも言うべき盃や水滴・食器類には無印のものが多いですがその独自性から梅林と容易に判断できます。茶道具や逸品と思われるものには『梅林』の印が認められます。大ぶりの三彩茄子形徳利にも押されていることがあります。

 江戸時代後半になると全国的に藩士の子弟を教育するため藩校が建てられるようになりますが、膳所藩でも文化5年(1808年)に家臣の屋敷地を解体して藩校「遵義堂(じゅんぎどう)」が建てられました。この藩校があった場所に今は県立膳所高等学校が建っています。私の父の時代から変わらず県随一の進学校です。その校舎新築工事に伴い平成14年に実施された発掘調査で、江戸時代の生活を窺わせる様々な道具が出土したそうです。多くは屋敷地に住む人々が使っていた陶磁器、喫煙具やかんざしなどの金属品などでしたが、その中で一際目立つ存在であったのが梅林焼の水滴だったようです。梅林焼の水滴は、年代から藩校で使用されていた可能性が考えられます。城下で焼かれた色鮮やかな梅林焼の水滴を、藩校の生徒が各々の好みで傍らに置いて勉学に励む姿を想像し古い時代に思いを馳せる・・・私は膳所高校には通っていませんがなぜか豊かな気持ちになります。