用語集GLOSSARY

姥ヶ餅焼(姥が餅焼)うばがもちやき

 東海道草津宿の近郊の矢倉には、慶長年間から往来の休憩所として姥が餅屋が親しまれてきました。姥ヶ餅焼は草津名物のこの姥ヶ餅を乗せる餅皿から始まった焼物です。当初は木製であったものが素焼皿となり、現存する最も古い姥ヶ餅焼は明和 3 年(1766)の箱書きのある布目素焼の小皿です。松尾芭蕉の句「千代の春 契るや尉と姥が餅」が姥が餅を有名にし、これらの餅皿に記されています。

 寛政 11 年(1799)に著された「養老亭記」によると、8 代目の瀬川都義(くによし)は茶道を志しており、自宅でもあった姥が餅屋に茶室や庭園を造っていました。膳所藩主などと茶を通じて親交を深めていた都義は、店で使う餅皿だけで飽き足らず、茶碗や水指、香合などの茶道具にも『姥餅』の窯印を捺させ、姥ヶ餅焼として焼き始めるようになりました。

 10 代目金沢好澄(こうちょう)も都義の志を継いで、姥ヶ餅焼の焼造を熱心に行なったようです。都義も好澄も姥ヶ餅屋の近くに窯を築いており、当時は樂家の左入を招いたとも言われています。現在残っている姥ヶ餅焼の多くは京都や瀬田・信楽などに『姥餅』の刻印を託して作らせたものです。茶碗にしても『姥餅』の印があるとは言えクオリティーにかなり幅がありますので注意が必要です。

 作品の刻印には『姥餅』の丸印・小判印、『うばがもち』小判印、『養老亭』小判印があります。古い餅皿には箆彫銘の『姥餅』や瓢形が見られます。