用語集GLOSSARY

  • 柴田晩葉 しばたばんよう

     滋賀県大津市出身の画家。明治18年(1885)~昭和17年(1942) 本名成教。はじめ蘆村と号しました。家は代々山形藩主水野侯に仕えていて、父に漢籍を学び、明治41年(1908)京都市立美術工芸学校卒業、同45年(1912)同絵画専門学校を卒業し、本科研究科に進み、改めて山元春挙に師事しました。  大正元年(1912)第6回文展に「湖畔の春」が初入選しその後も、第8回、10回、12回と文展に

  • 竹内栖鳳 たけうちせいほう

    竹内栖鳳は、1864年12月20日(元治元年11月22日)に京都市中京区の川魚料理屋の一人息子として生まれました。戦前の日本画家です。近代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家です。本名は恒吉。最初は棲鳳と号しました。霞中庵の号もあります。 土田英林、幸野楳嶺に師事。円山四条派の伝統的写生を基本としながら、その中に西洋画の写実性を取り入れた新画法を生み出しました。動物

  • 上田南嶺 うえだなんれい 

      明治~昭和の四条派画家で教育者。京都伏見に生まれ、晩年は伊丹に移住した。(1858~1943)  1875年に渡辺祥益に入門、日本画家として世に認められる。1890年昭憲皇太后の法隆寺行啓・1892年のロシア皇太子来日に際し、法隆寺より依頼され献納図として同寺真景図を描いた。画家の傍ら大阪府立堂島高等女学校に奉職したが、1918年に伊丹の酒造家小西新右衛門(現在の小西酒造 白雪ブランド)の

  • 淀看席(澱看席) よどみのせき

     京都市左京区の浄土宗大本山くろ谷 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)塔頭の西翁院に茶室 淀看席があります。藤村庸軒好の茶室で、貞享二年から三年(1685~86)頃に造られました。本堂の北西に、西向きに建っています。 三畳敷の茶室は、点前座と客座との境に中柱を立てて仕切壁をつけ、そこに火灯口をあけています。これは広義の「道安囲(どうあんがこい)」、正式には「宗貞囲」とよばれる構えです。