用語集GLOSSARY

  • 唐崎の松(唐崎神社)からさきのまつ からさきじんじゃ

     近江八景「唐崎の夜雨」で知られるこの松は、初代は持統天皇の御代に植えられました。この松のある唐崎神社は日吉大社の摂社の一つで、御祭神に女別当命(わけすきひめのみこと、女の神様)をお祀りしています。創建は松と同じく持統天皇の御代の697年と伝えられます。古来より天皇や国家の大事の災いを祓い清める七瀬之祓(ひちせのはらい)の一つとして定められていた由緒ゆかしき神社です。記録では天正九年(1581)に

  • 井伊宗観 いいそうかん(茶人としての井伊直弼)

      井伊直弼は彦根藩主として、そして幕府大老をつとめた宰相としての顔だけではなく、茶人井伊宗観としてもよく知られています。  井伊直弼は埋木舎時代、茶の湯・和歌・謡曲いずれにも造詣が深かったのですが、特に茶の湯においては、その精神的バックボーンは禅の修行と密接な関係があったようです。埋木舎は直弼が青年時代を過ごした屋敷です。嫡子ではなく庶子であった直弼は、この質素な屋敷で剣術や馬術、政

  • 藤村庸軒 ふじむらようけん

     江戸前期の茶人、千宗旦の高弟で宗旦四天王、茶道庸軒流の祖として知られています。慶長十八年(1613)に久田宗栄(そうえい)の次男として生まれたといわれます。久田家は庸軒の祖父刑部が利休の妹を妻とし,兄宗利の妻くれが宗旦の娘であるところから運命的に千家とのつながりは深まっていきます。  京都の呉服商十二屋藤村家宗佐源兵衛の養子となり(藤村家の実子という説あり)、名は源兵衛、政直、当直で反古庵と号

  • 北村幽安(幽庵)きたむらゆうあん

     江戸時代前期-中期、藤村庸軒門の茶人。名は政従(まさより)。通称は左太夫(さだゆう)。別号に祐庵・道遂(どうずい)。慶安元年(1648)~享保4年(1719年)。近江(滋賀県)堅田の地侍である殿原衆(北村・居初・辻・竹内家)。殿原衆は古くより姻戚関係で強く結ばれ、祥瑞寺を支える有力な檀家であり、また庸軒流茶道にも深く関わっていました。(この祥瑞寺には現在、一旦昭和の頃にとだえた庸軒流幽庵派の茶道

  • 山元春挙 やまもとしゅんきょ

     日本画家。1871年(明治4)11月24日滋賀県大津市に生まれ。本名金右衛門。野村文挙(ぶんきょ)、森寛斎(かんさい)について円山・四条派を学び、1890年(明治23)の第3回内国勧業博覧会で褒状を受けるなど写実性豊かな風景画をもって京都画壇で頭角を現しました。1891年竹内栖鳳,菊池芳文らと青年画家懇親会を興し,早苗会を主宰し多くの後進を育てました。1907年(明治40)の第1回文展から審査員