用語集GLOSSARY

  • 幸斎 こうさい

     湖東焼の絵付師である幸斎は氏を岡といい、元は飛騨高山の僧で、のちに還俗して絵を京都で学んだようです。  湖東焼の藩窯時代には繊細な絵付けをする絵付師達が藩に召し抱えられましたが御用窯ということから絵付師個人の銘が作品に記されることは一部の例外以外はありませんでした。  幸斎は銘を記すことを藩から特別に許された客分待遇の絵付師で、同時期に招かれた鳴鳳と双璧をなし、井伊直弼(宗観)のお気に入りの

  • 円山湖東焼(圓山湖東焼)まるやまことうやき

     湖東焼は文政十二年(1829)に、古着商を営んでいた絹屋半兵衛が彦根で開窯したやきものです。天保十三年(1842)に彦根藩が窯を召し上げて、十三代・井伊直弼の時代に黄金期を迎えましたが、桜田門外の変の後は縮小して文久二年(1862)には民間へ移行しました。  明治二年(1869)6月に版籍奉還して彦根藩知事となった井伊直憲は殖産興業の方針から同年9月芹川村(現在の彦根市芹川町)に窯を築き、京都

  • 姥ヶ餅焼(姥が餅焼)うばがもちやき

     東海道草津宿の近郊の矢倉には、慶長年間から往来の休憩所として姥が餅屋が親しまれてきました。姥ヶ餅焼は草津名物のこの姥ヶ餅を乗せる餅皿から始まった焼物です。当初は木製であったものが素焼皿となり、現存する最も古い姥ヶ餅焼は明和 3 年(1766)の箱書きのある布目素焼の小皿です。松尾芭蕉の句「千代の春 契るや尉と姥が餅」が姥が餅を有名にし、これらの餅皿に記されています。  寛政 11 年(1799

  • 石部焼 いしべやき

     石部焼は文政年間(1818-30)石部に開窯したやきものです。石部宿(いしべしゅく)で知られるこの土地は東海道五十三次の51番目の宿場で、現在の滋賀県湖南市にあたります。この石部宿の豪商 福島治郎兵衛・藤谷治右衛門・植村仁右衛門たちが出資し、清水焼の陶工を招きました。原料に地元石部の白土も用い、釉薬などは京都より取り寄せて京焼や肥前陶磁の写し、色絵磁器も作っていました。  天保年間の染付書銘の

  • 近江八景 おうみはっけい

     近江八景とは、琵琶湖周辺の代表的な名勝8カ所を選んだものです。鎌倉時代後期に日本にもたらされ室町幕府足利将軍家や朝廷、京都五山の禅僧を中心に画題や詩題としてもてはやされた中国の『瀟湘八景』が本歌です。  瀟湘八景とは中国湖南省を流れる瀟水と湘江が合流する辺りと、洞庭湖(どうていこ)の広大な水景一帯の八つの情景のことです。室町時代には、その瀟湘八景をもとにさまざまな日本の風景が漢詩に詠まれること